日本CHO協会



CHOっとひとこと
プロフィール

 さん
他のブログを見る
人事の疑問にちょっと一言!「CHOっとひとこと」は、日本CHO協会の3人が、人事について日々思うことを気楽に語るブログです。
2008-10-07 09:25:37
心理アセスメントを作成するのが、筆者の仕事の一つである。クライアント企業からしばしば心理アセスメントを作成してほしいという依頼がある。「松下さん、当社が一番ほしいのは仕事を途中で放り出さない、責任感のある人材だ。コンプライアンスの問題もあるので、不正をしないことも人材要件だ。責任感と倫理性があるかどうかを測定するアセスメントがほしい」と頼まれることがある。残念ながら、今の心理学の研究成果をもってしても、そのようなアセスメントを作成することはできない。そんなアセスメントがあれば、今日の日本の首相後継者問題は発生しなかったかもしれない。フロイトの超自我(superego)の強さを正確に測定できるアセスメントをつくることができたなら、かなりの確度で、責任感や倫理性の高さを予測することができるだろう。超自我は性衝動などの人間のなまなましい欲望を抑え、道徳的に正しい方向へ人間を導く機能がある。超自我が発達した人は、「厳しい父親」に四六時中監視されているような人なのである。
2008-10-06 11:09:17
さて、今週は元に戻って「キャリアディスカッション」の話です。会社の仕組みとして個人のキャリアについてなぜ上司と部下が話し合う必要があるのでしょうか?それは会社の業績を向上させるためです。

 私がP&G社で採用を担当していたとき(1985年から1990年頃まで)、学生にどのような仕事をしたいのかとたずねると、答えはほとんど同じでした。「営業」か「企画」をやりたいというのです。なぜそういう答えが返ってくるかといえば、その当時の企業の人材育成はまず営業をやって、現場の苦労を知ってから将来は他部門へ回す。その際に企画(何の企画かは定かではない)は社内の花形(なぜ花形なのかも定かではない)なので、とりあえず自分をアピールしておく事がよかろうという考えがあったからです。

 つまり、残念ながら日本ではほとんどの場合「キャリア」に対して自分はどのようなスキルを持っていて、どのようなことをやる事がもっとも満足感が得られるのか、といったことを考えることもあまりしなかったであろうし、そういった機会もなかったのでないかと推測します。もちろん就職ガイダンスなどでこういった話を聞くことはあったとしても誰かときちんとキャリアについて話し合うことはしていないと思います。

 キャリアについて話しをすることは上司と部下にとって次のようなメリットがあります。
1.自分がどのようなタイプの仕事に向いているのか。例えば、新しいプロジェクトに挑戦する事がすきなのか、コツコツと進めて答えが出るような仕事がすきなのか、等々を明確にする事ができる
2.将来自分が好きな仕事に就くために必要なスキルと経験に対して現状はどうなのか。十分にスキルと経験を持っているのか、それとも欠けているのは何なのかを明確にする事ができる
3.上司(会社の立場から)は個人がより満足度を持って仕事をするために何が必要で、どういったサポートができるのかが明確になる

こういった話し合いを持つことは個人がその会社で働くことの満足感を向上します。満足感が向上することによって個人はモチベイトされ、結果として業績もあがることになります。こういったキャリアディスカッションの考え方は日本の企業よりもむしろ欧米の企業でさかんに取り組まれていてその1番大きな理由は「スキルと経験をもった優秀な人材を社外に流出させない」ためです。以前は報酬で引きとめようとしていましたが、やはり人にとってもっとも重要なのは「お金」ではないのです。
2008-10-01 09:17:29
神経症と性的問題を結びつけて考えたのはフロイトが最初ではない。フロイトは1885年にパリのシャルコー(Jean-Martin Charco 1825〜1893)のもとで神経病学を勉強した。シャルコーは催眠療法の第一人者であり、ヒステリー(現在はヒステリーという言葉は使われなくなったが)の治療で有名だった人である。シャルコーはパーティで一人の女性患者について、「いつも生殖器が影響している」という話をしているのを、フロイトが小耳にはさんで、感銘を受けたというエピソードが残っている。性は間違いなく、人間のこころや行動に影響を与えていると思われるが、公式の席での議論になりにくいという事情は、フロイトの時代も今も変わらない。経営会議の席上、経営者の女性問題が取り上げられることは稀だろうし、経営者の性的な欠陥が暴きだされることもないだろう。しかし2チャンネルなどのインターネットの書き込みなどを読むと、フロイトが生きていたらあきれるくらいの、すごい話題に事欠かない。性的問題と経営の関係性を立証して、それを本に書いたら、ベストセラーになることは間違いはないが、立証は現段階では不可能である。フロイトの伝記を読むと、彼の女性問題についてしばしば書かれてる。性的問題と心の病気を結びつけた最初の人がフロイトであったわけでもないし、そのような視点で研究を進めたのはフロイト一人ではないにもかかわらず、フロイトの女性問題が好んで取り上げられるのは、フロイトには気の毒な感じがする。それともフロイトはそのことを本望と思っているのだろうか。
2008-09-29 10:00:36
今週は先週からの続きの話をしなければならないのですが、最近テレビのニュースを見ていてとても考えさせられることがあったので、ちょっと予定を変更してその話をしてみたいと思います。

 お隣の韓国の話なのですが、韓国では家族のあり方として、ある社会現象が顕著になってきているという内容でした。それは「母親と子供たちはアメリカやカナダへ留学して、父親は韓国に残り働いて、海外にいる家族のために仕送りをする。いわゆる単身赴任ならぬ、単身在韓をしているような家族が増えている」というニュースでした。

 韓国では日本よりも少子化が進んでいるという話を聞いたことがありますが、何故このようなことが起こるのでしょうか?私の推測ですが、おそらく韓国という国の将来を不安視しての行動ではないかと思います。つまり、韓国の人にとって、将来は韓国の国内のビジネスや韓国語だけで生き延びていくことは難しいということを敏感に感じ取っているのではないでしょうか。国境を越えたビジネスのグローバル化は日本よりもはるかに身近にせまっている問題として、企業のレベルではなく、家庭のレベルでとらえているところが「凄い」と感じたところです。

 私はこれまで多くの外資系企業の管理職のかたがたや、日経企業の管理職のかたがたと接する機会がありました。日本の会社でも最近は外国の方が勤務されているケースが増えてきましたので、おおっぴらには皆さん言われませんが、本音の部分では「外人が日本でビジネスをやるんだったら日本語でやるのが当然」とか「日本は外国とは違う、日本には日本のやり方があって、外人にはそれはできない」といったことを言われている人を数多く知っています。残念ながら日本では企業のレベルでもまだまだ、グローバライゼーションが身近な脅威として認識されていないようです。

 私たちが好むと好まざるに関らず、確実にグローバライゼーションの波に私たちは飲み込まれれていきます。以前にも書きましたが、グローバルビジネスの共通言語は英語になっていますし、テクノロジーの進化で情報はボーダレスになっています。世界には英語でMBAを取得した人たちがゴロゴロいてMBAの専門用語を話しています。

日本は特別であるという意識を変えてグローバライゼーションと向き合わないと日本のビジネスは本当に世界から取り残されてしまうのではないでしょうか。
2008-09-24 09:59:27
フロイトは、人間の行動の原動力をリビドーであり、リビドーは性的な欲求と大きな関係があると考えた。フロイトの学説でもっとも物議を呼び起こしたところである。筆者は大学で心理学の歴史を教えている。フロイト、ユング、アドラーのそれぞれの学説を紹介し、どの学説に共感を覚えるかと学生に聞くと、フロイトは常に3番目である。とくに女性に人気がない。「息子は母親と性的な関係を持ちたいと無意識で望んでいる」と言ったとたん、「それ、何?」と多くの女子大生は嫌悪の表情をする。男性は生理的に性的な欲求を感じざるを得ない構造になっているので、性的衝動の強さを納得できる人が多い。(さすがにエディプス・コンプレックスとなると納得できる男子学生はがくんと減る)CEOがリビドー説を考えざるを得ないのが、企業内でセクハラ事件がおきたときである。日ごろの言動から考えて、セクハラとは無縁と思っていた人が、セクハラをやってしまった事例に出会うと、フロイトのリビドー説を一概に否定できなくなる。世の中に聖人君子などいないと頭でわかっていても、実際に性的な欲求が引き起こした事例に出会うとショックを受けてしまう人は多いのではないだろうか。企業組織は生身の人間で構成されているので、リビドー説を信じる、信じないはさて置き、セクハラに対するリスクマネジメントをやっておいたほうがよいだろう。
2008-09-22 18:00:12
キャリアマネージメントには大きく分けて「キャリアディスカッション」と「スキルアセスメント」があります。なんとなく日本では「キャリアマネージメント」というとすぐにリストラを連想される方がおられるかもしれません。残念なことに日本では、余剰人員を整理する際の教育活動の一環として「キャリアマネージメント」が認識される事が多かったのではないでしょうか?

 「キャリア」という意味は「職業上の経歴」という意味合いですので、キャリアにいろんな単語がくっついて世の中に氾濫しています。日本においていつごろからキャリア・・・という言葉がはやり始めたのかは定かではありませんが、私がP&Gで採用のマネジャーをしていた1985年ごろには、社内で「キャリアパス」という言葉を使っていましたので、もうその頃には外資系の企業では使われていたのかもしれません。

キャリアパス、キャリアデベロップメント、キャリアカウンセリング、等々それなりになんとなく意味の分かることなのですが、根本となるキャリアに関する考え方は「キャリアは自分の責任で形成するもので、会社や上司が作って与えてくれるものではない」ということではないでしょうか?ジャック・ウェルチの言葉に「Control your destiny, or someone else do」とあるように、「自分の人生は自分で決めなさい、そうしないと誰かが取っちゃいますよ」っということになってしまいます。

ところが、戦後の日本では「高度経済成長」に代表される右肩上がりの経済成長がベースとなって、労働力の確保のために「終身雇用」や「社員を家族のように扱う」ことが一般的になってしまったのではないかと思います。そのため、会社にいれば会社がなんとかしてくれるという一般的な風潮が定着してしまい、キャリアについて社内で話し合う必要がなかったのではないでしょうか。もちろん個々の個人レベルでは、昔も今も自分のキャリアを真剣に考えている人たちは大勢いらっしゃいますので、あくまでも会社内の仕組みという点での話です。

先ほど、キャリアというのは個人が考える事を前提にしているということをいいましたが、それではなぜ、会社の仕組みとして「キャリアを話し合う」事が必要なのでしょうか?この点について来週はまとめたいと思います。
2008-09-18 17:39:07
意識が「あと知恵」として生まれ、自分の行動の正当化をする働きをしているとすれば、会議のむなしさと退屈さをよく説明できる。会議の好きな人はあまりいないだろう。嫌いな理由は、結論は会議が開かれる前に決まっていることが多いからではないか。企業の会議に出席していて、議長や進行役が「どうぞ自由に意見を言ってください」と誘い水をむけても、白けたムードが漂う場面にしばしば経験してきた。テーマが重要であればあるほど、結論は事前に決まっていることが多い。それゆえ、会議にはどこか「あほくささ」(大阪の方言で、真面目にやる気がしない、やるせない気持ちを表している)を感じてしまうのは私だけだろうか。集団においても、個人でも、いつ、どこで本当の意思決定が下されるかを特定することはかなり難しい。無意識で意思決定の大部分が為されていて、意識はほんのちょっぴり「言い訳の種」を提供するだけであるならば、経営学のおいても無意識の研究をさらに推し進める必要がある。しかし意識を違って、無意識の定量的なデーターをとることが極めて難しい。無意識は文字通り「意識できないこころの世界」で、意識したとたん、無意識でなくなってしまう。定量的なデーターがとれないと、仮説検証が難しい。仮説検証ができない問題はアカデミックな世界では、研究対象にできない。
2008-09-17 14:33:47

 外国の方を自分の部下に持ったり、パフォーマンスの考え方を説明したりするときには、このような包括的な観点から「人事評価」や「能力開発」を捕らえておくことが、より納得性のある説明につながっていきます。

 パフォーマンスマネジメントの3つの役割のうち、「人事評価」については日本でもいろいろなやり方でおこなわれているのでここでは説明を割愛させていただきますが、「キャリアマネジメント」と「モチベーションマネジメント」について少し詳しくご紹介したいと思います。

 「キャリアマネジメント」という言葉は最近では大学での講座の名前になったり、リストラによるアウトプレイスメント(再就職支援)をおこなう際に転職のサポートとして「自分のたな卸し」という意味で使われたりしていますが、本来は「自分のキャリアを考える」という意味ではないかと思います。つまり、大前提として「自分の人生は自分で責任をもつものであって、決して会社が決めるものでもないし、他人の責任にできるものでもない」ということを理解して、自分にとってベストなキャリアを選択するという意味です。
2008-09-10 21:10:38
企業のヒューマン・リソース・マネジメントとフロイトにはどのような関係があるのだろうか。アメリカは今でも精神分析的なアプローチでビジネスを論じる人たちがいる。(注1)精神分析のコンセプトを使って、ビジネスの諸現象を説明すると、とても新鮮なビジネス論が展開できるからだろう。人間が余りに過酷な環境におかれたり、自分の弱点をさらけだすことで自分の心がこわれてしまうような状況に出くわしたとき、自分を守るために、無意識に現実を無視したり、怒りなどの激しい感情で相手を威圧したり、ときには記憶がなくなるなどの反応を指す。筆者の知人で第2次世界大戦でソロモン沖海戦に参加した人が、海戦が始まった瞬間から記憶がなくなり、気がついたときは沈んでいく戦艦の艦橋を、傷ついた戦友を背負って降りていくところだったと話してくれた。この例は防衛機制が働いた好例だと思う。筆者は若いころ、父親が経営していた会社を継いで、見事に大失敗した経験がある。会社の状況がきわめて深刻なのに、従業員だけでなく、家族もそれほど深刻には受けとめず、気楽に日常生活を送っていた。とくに倒産直前の正月は、親戚一同が集まって、例年になく和やかにすごした、不思議な光景を今でも忘れることができない。倒産の恐怖から目をそむけていたとしか言いようがない。


注1:
スティーンバーガー「トレーダーの精神分析」Panrolling
ド・ブリーズ「エグゼクティブ・コーチング」FIRST
2008-09-08 13:58:50
「CHO協会が2008年の1月にまとめたレポート、「グローバル人的資源管理に関するアンケート調査の報告書においても、日本の多国籍企業は欧米の多国籍企業に比べると「経営理念のグローバルな統一性」と「文化的多様性の尊重」について、まだまだ取り組みが不十分である事が指摘されている。

国の違いや人種の違いなどをこえて、社員同士が共通の価値観や行動の原則を持ってお互いを尊敬できるような、その会社独自の価値観や理念を明確にし、行動のレベルまで落とし込む」というのは何もP&Gだけに限ったことではありません。私が以前、人事広報部長を務めていた「シンジェンタ・ジャパン」という会社でも2004年から2006年に掛けて同じような事を行いました。

具体的にはシンジェンタでは「Quest for Purpose」というチームが3ヶ月をかけて全世界の主要な国々、例えば日本や中国など、を訪問し、そこで主要な役割を担っている社員約30名とワークショップを行ったのです。そのワークショップでは、大きな模造紙に会社の歴史がどう変わってきたのか、現在はどの様な状況なのか、そして5年後はどのように変わるのだろうか?といったことを話し合い、それを「イラスト」でビジョンとして表すというようなワークショップでした。
 
「Quest for Purpose」のチームは全世界の資料を持ち帰り、まとめて整理し、本社のシニアエグゼクティブを集めて「シンジェンタ」という会社が何のために存在しているのかを議論するワークショップをファシリテイトしたのです。エグゼクティブ達はオフサイトの研修所に3日間缶詰になり、そして「Purpose」である「Bringing Plant Potential to Our Life」という会社の「Purpose」にたどり着いたのです。これは農薬会社のシンジェンタとしてはそのビジネスの可能性と、そこで働くプライドを一気に加速することになりました。

 シンジェンタでは「Purpose」を支えるバックボーンとしてビジョンやリーダーシップなどの考えをとりいれて、全世界の社員に対して落とし込みのワークショップを行いました。HRとライン長がファシリテイターをおこないましたが、崇高な企業理念がこれほど感動を与えるものかと思うほど社員の思いやベクトルが一致してゆきました。

 日本には企業理念を朝礼の挨拶のようにしている会社がたくさんあると思いますが、理念を行動レベルまで落とし込む作業が必要があるのでは無いでしょうか

CHO(チーフ ヒューマン オフィサー)は日本CHO協会の運営主体である(株)パソナの登録商標です。
ADOBE FLASHPLAYER
Copyright (C) 2007. Japan Society for Chief Human Officer All Rights Reserved.